人はなぜアベンジャーズ・エンドゲームで泣くのか
4月26日の公開日にアベンジャーズを観にいって1週間が経とうとしています。そして時代は令和に移りました。
タイトルにある通り僕はこの映画で図らずも泣いてしまったのですが、その理由を考えていた時にここにディズニー映画マーケティングの全てが詰まっているような気がしたので、この1週間考えていたことを記事にすることにしました。
なお、物語の核心に触れるような内容は書いていないつもりですが、未鑑賞の方は念のため読まないようにしてくださいませ。
人はなぜアベンジャーズ・エンドゲームで泣くのか
まず最初に、当然ですがアベンジャーズはアメコミヒーロー映画なのでヒューマンドラマや悲恋で泣くわけではありません。お涙頂戴要素はないです。
アベンジャーズで人が泣く理由はズバリ経過時間によるエモみ倍増効果によるものです。
つまり、長編作品が結末を迎えることと、その間に経過した自分の人生を一緒くたに感じることによって人は泣いているということです。
実は作品そのものはそれほど感動的な要素はないと思いますし、例えばこのゴールデンウィークにMCU23作品をイッキ見した!なんていう人はおそらくエンドゲームで泣きません。
マーベルシネマティックユニバースというアベンジャーズシリーズが開始した「アイアンマン」からずっと観てきた人にとっては今回のエンドゲームは約10年という長い旅路を共にした作品の終結でした。
「あぁ、アイアンマン、キャプテン・アメリカ...この10年長かったね。色々あったよね。ありがとう」
という気持ちでいっぱいになるわけですね。
読んでくださっている方は、なんだそんなことかちょっと考えればわかるわ、と思われるかもしれませんが、
実はこの人生の時間と作品の時間を混同させて作品への愛を深める方法こそ、ディズニーが最も得意としてきたマーケティングです。
まもなく完結する「スターウォーズ」シリーズもまさにその立ち位置でした。エピソード4~3を人生とともに過ごした層のロイヤリティは凄まじく、その後エピソード7以降も圧倒的興行成績を誇っています。
「人生の時間」の中で現代の人はほぼ必ず「ディズニー」に対して大切な思い出をいくつか持っています。
それは幼い頃に観たプリンセスかもしれないし、恋人と行ったディズニーリゾートかもしれませんが、人生の大切な思い出にディズニーはうまく紛れ込むことに成功しています。
「ディズニー」というキーワードに自分の美しい記憶が絡まっているから、人はディズニーを極めて好意的な気持ちで受け止めており、自分の子供のパジャマにディズニーキャラクター柄を採用するのです。
そしてその子供はまたディズニーと共に育ち、幼い頃観たアラジンのリメイクを観て大人になっても涙を流すわけですね。
多少ディズニーグッズが高くても、ディズニーリゾートが値上げしても、キャストが過重労働で倒れても、誰もディズニーを悪く言いません。
だってディズニーは自分の大切な人生の一部なのだから。
マーベルスタジオもルーカスフィルムも買収されたのは最近ですので全てがディズニーの戦略で作られた作品ではないですが、間違いなくディズニーは世界で最も成功したエンタテインメント企業です。
文化も価値観も違うはずの国と地域に同じストーリーを届けてここまで好意的に受け入れられているのはディズニーのたゆまぬマーケティングの賜物と言わざるを得ません。
MCUは次のフェーズへ続きます。また次の10年で泣きましょう。