【10日間スマホなし】瞑想修行に行ってきた
皆さんは1日以上スマホを意識的に遠ざけたことがあるだろうか?
完全なオフラインの中でただ自分と向き合うことをしているだろうか。
意識の高さの次元をあげたかった自分は5/10~5/21、有休消化の集大成としてヴィパッサナーと呼ばれる瞑想修行へ行ってきた。そこで多くの学びがあったのでここに記録しておきたい。
ヴィパッサナー(瞑想修行)とは
「ものごとをありのままに見る」という意味のヴィパッサナーは、インドの最も古い瞑想法のひとつです。この瞑想法は2500年以上も昔、インドで、人間すべてに共通する病のための普遍的な治療法、すなわち「生きる技」として指導されました。
ヴィパッサナーは瞑想するだけなので仏教と関わりはあるものの、特定の宗教や信仰の類いではない。
最近、意識高いビジネスマン界隈では「マインドフルネス」と呼ばれ、この瞑想によって高いストレス耐性と問題解決能力の向上を目的とされて広まってきているそうだ。
ちなみに僕が今回休みを10日以上も使ってこの修行に参加した目的は
- ストイックさを磨きたかった
- 話のタネになると思った
- お金を使わずに休みを消化できる
などというなかなか意識低めの理由。
なお、この修行と施設は全て寄付で賄われており、参加に費用はかからない。参加した後には手渡しや振込の方法で希望の金額を寄付することができる。日本だと千葉と京都に施設があるが今回は千葉の方に参加した。
そしてこの修行のストイックポイントなのだが、10日間スマホなど一切の電子機器が禁止されているうえに「聖なる沈黙(noble silence)」という戒律により、他人と話すことはおろか身振り手振りも目を合わせることさえも禁じられる。
「独りで修行しているかのように振る舞いなさい」と言われるのだ。
10日間も他人と過ごすのはなかなか苦痛なので話さなくていいのはむしろありがたかったが、人によってはかなり辛いことだと思う。また、10日間世間から完全に隔離されてしまうため、今何が起きているのか、日経平均がどうなっているかなど一切追えなくなったのは少し辛かった。中国の関税とかでなかなか相場は動いたみたいだね。
さらに、ヴィパッサナーに参加するすべての生徒は、コース中、次の五つの戒律を厳格に守らなければならない。
-
生き物を殺さない。
-
盗みを働かない。
-
一切の性行為を行わない。
-
嘘をつかない。
-
酒・麻薬の類を摂らない。
まぁこのルールは余裕。タバコを吸う人にとっては辛いのかもしれないと思ったが終わってから周りの話を聞くと不思議と修行中は吸いたくならないそうだ。このまま禁酒・禁煙できるかも、という人もいた。
コースは丸10日間確保されるため、実質11泊12日の長旅となった。なおコースの時間割はこのようになっている。
午前4時: | 起床 | |
午前4時30分~6時30分: | 瞑想 | |
午前6時30分~8時: | 朝食と休憩 | |
午前8時~9時: | 瞑想 | |
午前9時~11時: | 瞑想 | |
午前11時~12時*: | 昼食 | |
午後12時~1時: | 休憩 | |
午後1時~2時30分: | 瞑想 | |
午後2時30分~3時30分: | 瞑想 | |
午後3時30分~5時: | 瞑想 | |
午後5時~6時: | ティータイム | |
午後6時~7時: | 瞑想 | |
午後7時~8時45分: | 講話 | |
午後8時45分~9時: | 瞑想 | |
午後9時~9時30分: | ホールにて質問 | |
午後9時30分: | 就寝 |
食事は1日に2回、質素な菜食料理が出る。一汁一菜だがメニューは工夫が凝らされていてなかなかに美味しい。薄味が気になったら塩やしょうゆを自分でかけて好みな味に調整もできるし、ごはんは好きなだけ盛ることができる(常識の範囲内だが)
夜がティータイムでバナナ1本しか食べられないので少し空腹を感じた。
なお参加者についてだが、僕がキャンセル待ちで滑り込み、最後の32番だったので男性で32名、女性32名そこに指導者やスタッフを加えておよそ80人くらいが施設で過ごしていたと思う。
男女が完璧に隔てられるため、男性のことしか分からないが、長髪だったりドレッドヘアだったり「普通の仕事じゃないな」という感じの人が多かった。後から分かったことだが、バックパッカーなど旅人界隈で知られている修行らしく、インドなどによく行くような自由人系の人たちが多く参加していたようだ。
僕のように普通の社会人っぽい人も3割ほどはいたと思う。まぁ12日も会社を休めてさらにその休暇を丸々修行に使うような奇特な人はなかなかいないからこのような構成は至極当然ではないか。年代はばらばらで20代から70代くらいの人までおり、日本語話者でない人も1割ほどいた。
では早速毎日の記録を書いていく。
【0日目】
11時には家を出て、千葉県茂原駅へ。
もっと辺鄙なところだと思っていたが、コンビニやビジネスホテルも周囲にあるような大きめの駅である。
そこからさらに路線バスで20分かけて最寄りのバス停まで移動し、さらに20分ほど歩くと、今回の目的地「ダンマーディッチャ」へ到着する。農村のようになっていて宿舎と食堂、瞑想ホールと風呂場がぽつんぽつんと立っている。
到着したのが15時ごろだったか、オリエンテーションは18時からなので暇だったがここは圏外なのでスマホは早々に預けてしまった。なのでこれ以降の記録は全て記憶を頼りに12日後に書き出している。
18時ごろから最初の夕食。鮮やかな真っ黄色のカレーが出た。だが味はほとんどしない。とりあえずごはんにぶっかけて食べる。食べ終わったら食器を自分で洗い、元の場所に戻す。
そのあとは20時から最初の瞑想が始まる。全員で大きな瞑想ホールに移動。はいるといきなり前方の壇上に真っ白装束の男女が1人ずつ君臨しており「かなりキテんな」と思ったのを覚えている。
彼らが「指導者」と呼ばれる人たちで、この瞑想修行の免許皆伝みたいな存在だ。実際修行中に彼らと話すことは希望しなければほとんどなく、2日に1回くらい何人かずつホール前方に呼ばれ「進捗どう?」みたいなことを聞かれただけだった。終始柔和な表情のおじいちゃんだが、修行中たまにめっちゃ辛そうな顔してて「お前もつらいんかい!」と心の中でツッコんでしまった。
さて、瞑想が始まったわけだが、まず瞑想のやり方について指導があった。瞑想は日数を経るに従ってレベルが上がっていく。まず最初の日の瞑想は「とりあえず鼻息に意識を集中しろ」というものだった。座り方は自由で楽な姿勢で良いのでほとんど全員があぐらをかいていたと思う。目を瞑って早速やってみる。
いや、鼻息に集中などできるはずがない。とにかく雑念がひっきりなしに浮かんでくる。集中、といっても鼻息のリズムを整えるようなことはしてはならず、とにかく鼻息の存在を確認するだけ。意識が逸れたと気付いたらまた確認作業に戻るだけ。とにかく集中できなくて暇だった。1時間が長い。
21時には終わり、宿舎に戻ってベッドに入る。なんだか疲れてしまってまだ21時なのに初日はあっという間に眠ってしまった。この日が最も寝つきが良かったと思う。
【1日目】
修行では今日がDay 1とされている。朝4時に起床の鐘が鳴るがささやかな音量のためこれでは起きられないので目覚まし時計をかけておいた。
4時起きなんてクソ辛そうだと想像していたが21時に寝たのでなんのことはない。朝は絶対風呂に入りたいタイプなのでスッと起きてシャワーに向かう。
4時5~10分ほどになると皆が起きてきてシャワーや手洗い場が混雑してくるのでいつも3時55分ほどに目覚ましが鳴るようにしておいてすぐにシャワーに向かうようにしていた。
ちなみにシャワーだが、ネットカフェによくあるような半畳ほどの個室で男子は3室あった。休憩時間や朝の時間にいつでも入って良いので夜使う人もいれば昼に入る人もいる。女子はもっと個数があり、混雑を避けるために時間表に名前を書いて待つシステムだと説明されていた。
シャワーを浴びたら4時半からは瞑想だ。この時間はいちおう「ホールまたは自室で瞑想を行なってよい」とされているため、後半になると殆どの人がベッドで寝ていたが、自分はストイックさを磨くために来ているので、ホールか自室を選択できる時間帯でもほぼホールで過ごすようにしていた。
朝の瞑想は2時間休憩なし。これがいきなりつらい。眠くて集中もできないし腹も減っている。とにかく何度も座り方を変えながら6時半の朝食を待った。
朝食はだいたいの場合、白米か玄米を選択して盛り、浅漬けと味噌汁がつく。自分はとにかく米が大好きで、漬け物も好きなのでこのメニューはお気に入りだった。
食べたらまた瞑想瞑想瞑想…
【2日目】
今日は起きた時からすでに脚がちょっと痛い。4時半の瞑想が始まるともうかなり痛い。
あぐらって1番楽な座り方だと思うのだがめちゃくちゃにつらい。姿勢が歪んでいるのか背骨の右側がズキズキと痛み始め、次は腰、股関節、膝、くるぶし。下半身の関節が全て悲鳴をあげ始める。
2日目には瞑想は少しレベルがあがり、鼻腔も鼻の穴と上唇に集中の範囲を広げるように言われたが、とにかく痛くて痛くて何も考えられない。
あぐらの角度を変えてみたり、足の上下を入れ替えたり、色々するがすぐに新しい姿勢でも痛みが襲ってくる。
そのうち、体育座りにすると腰以下は痛みがかなり改善されることに気付く。背中の痛みは正座をするとマシになる。正座も何年振りか分からないが昔は平気でやっていたのに足首が固まっていて正座ができない。つま先を立ててやっと正座のような姿勢を保つことができた。
【3日目】
今日も朝の瞑想から激痛…。
瞑想の対象は上唇だけになり、狭い範囲に最大の集中を寄せるよう指導される。だが、無理。
とにかく痛みがあるし、姿勢を変えて痛みがない間は絶え間ない妄想。良いものも悪いものも覚えていなかったような記憶までが呼び起こされてくる。そう考えると小さい頃はもっと妄想激しい子供だったと思う。勉強机に座って宿題をするふりをしながら縦横無人に限りなく妄想を巡らせていたなと思った。大人になってから普段は常にスマホを見て情報を浴びていて、じっくり思考を巡らせるような機会は全くないのだなと考え込んでしまった。
修行の進捗、ゼロである。
【4日目】
今日はとんでもない日だ。
瞑想のレベルが上がり、1日3回、8-9時・14時半-15時半・18-19時の間「決意の時間」という全く動いてはいけない時間が導入される。あかん。まるで仙人チャクラの修行だ。
この頃になると集中する事で痛みを大きく減らすことに成功し始めてはいたが、まだ1時間の集中には及ばない。「どうしてもやばいときはちょっと動いてもええで」という師匠の言葉を拡大解釈してかなり動いてしまった。
苦しみの後のランチの時間は好きだった。11-13時が丸々休み時間なので施設の奥の方にあるベンチのようなものに横たわって目一杯太陽を浴びて眠った。
四方を林に囲まれた山中なので鳥の声や風の音しか聞こえず、心が晴れ晴れとするような時間だった。
この頃から近くに座っていた人が1人だんだんホールに来なくなり、とうとうこの日の夜に荷物をまとめて帰ってしまった。いつの回も一定数脱落者はいるようである。自分もまだ修行の前半さえ終わっていないことを思い果てしない気がしたが、帰ってもやることもないので我慢して続けることにした。
【5日目】
この辺になってくると脚の痛みは慣れからかかなり軽減されてくる。
集中の対象は全身へと広げられ、頭から順番に自分に意識を動かしていく。
雑念を払うことはまだまだできないが、1時間のうち30分は動かずに瞑想を続けられるようになった。
【6日目】
特に記憶はない
【7日目】
特に記憶はない
【8日目】
特に記憶はない
この辺になると慣れからか足腰の関節の痛みはもうない。
痺れが少しつらいがほぼ丸々じっと座っていられるようになった。
この日は夕食にトマトソースパスタが出たのを覚えている。
【9日目】
実質的に厳しい修行が行われるのはこの日まで。
ランチのあといつものように太陽の下で横たわっていると、ふとなんでこんなつらい思いをしてまでここにいるのかと疑問に思った。そもそものきっかけは知り合いのブログで見かけただけなのだが、だからといって本当にそれを見て参加したのなんて自分くらいのものだろう。
でもこの修行の存在を知り、気になっていた時にたまたま転職で長期休暇を取ることになり、とっくに満席だった修行にキャンセル待ちを申し込んで開催1週間前に偶然空席が出て参加できた。
なんかそう考えると導かれてここに寝ているような気がしてきて、もしかすると自分の人生は輪廻転生の最終回、前前前世の自分から渡されたバトンで解脱するために生まれてきたのかもしれないと思えてきた。今回の10日間でその解脱への道を1歩確実に進んだように思う。
ただ、話をよくよく思い出すとどうやら解脱への道というのは一万歩くらいありそうだったので残りの9,999歩を行くのはちょっと無理そうだなと考え、このアイデアはいったん忘れることにした。
【10日目】
朝食を終えると、指導があったのちに「聖なる沈黙」が解かれる。おしゃべりが始まる。堰を切ったようにたくさんの人が宿舎で和気藹々と話し始めた。
みんなバックパッカーのような人たちばかりなので直前にいた国や次の目的地などについて話し合っていた。自分はそういった話にはついていけないので宿舎の隅で横になって聞いていただけだったが。
この日のランチは長い修行のお祝いのようなメニューで、もちろん魚はないが、ちらし寿司が作ってありシンプルなバナナケーキのようなものも振舞われた。
皆が久しぶりに笑顔で食卓を囲み、笑いが絶えないランチとなった。
この日から瞑想の種類が少し変わる。今までのような自分をとにかく調べるようなものではなく「生きとし生けるものすべての幸せを願う」瞑想を行う。
【11日目】
今日は朝4時半の瞑想を最後に、コース修了となる。
みんなで最後の朝食をとり、掃除をして解散した。晴れたら良かったのだがあいにくの大雨。しかし皆の顔は晴れ晴れとしていたように思う。
こうして僕の12日は終わった。
瞑想修行を終えて
今回の泊まり込みでの修行はこれにて終わったわけだが、解脱への道はまだ続く。これからは毎日朝と夜に1時間ずつ瞑想を行うように言われた。果たしてそんなことができるのか分からないが、自分の気分が続く限りはやってみようと思う。
ブッダの教えとか解脱とか宗教的なことはよくわからないけれど、すべての雑念を捨てて何かに集中するというのはこれからも役に立つ経験だったと思う。
また、修行中は「講話」といって毎晩2時間ほどひたすらブッダの教えとか師匠(ゴエンカ)の逸話を聞くのだが、1つだけ強烈に覚えていることがある。それが修行における「パーニャ」という概念。
正しくはちゃんと調べて欲しいのだが、自分の理解した限りだとパーニャというのは「知る」ことの3要素を教えている。
1つ目は教典や他人から与えられる知識
2つ目はそれを元に自分で考えて得た知識
だがその2つでは足りない。
3つ目、体験することによって得る知識で「学び」は完成される。
これは仕事などなんでもそうだと思った。本で読んで自分の意見を持ってたくさん色んな知識を蓄えてきたが、実際にやってみないと分からないことというのは山ほどある。
今回を通して自分はこの瞑想修行が「感情の奴隷であることをやめ、平静な問題解決能力を得る」ことだと理解したが、これは本当にやらないと身につかない。
感情の奴隷でありたくないなんてことは誰しもが思っていることだが、気持ちの中で気をつけていても感情に振り回されることは辞められない。なんらかの方法で本当のコントロール方法を学ぶ必要があるのだ。
最後に
ヴィパッサナー瞑想修行をおすすめできるかと言われると、めちゃくちゃつらいので恨まれたくないし軽率にはおすすめしない。
だが、確実に持って帰るものはあるし、充分な時間と覚悟と興味がある人は行ってみてもいいかもしれない。
衣食住は案外整っているので不便な生活の心配はない。
最大の学び
結局、長時間座るのは体育座りが一番。
完